青龍山 辺法寺不動院


不動院は延暦15年、西暦796年 真言宗の開祖、弘法大師(こうぼうだいし)(空海上人)が伊勢神宮へ参宮の途次にこの地に来られ『山高く、谷深し、滝落ちて、水清し』幽谷霊地を会得され、岩上に座し、しばらく身みを留め、此処に荒削りの不動明王尊をお刻みになり草庵を結ばれたのが創始と言われています。その寺称は、遍法寺(へんぼうじ)と言われました。

 

その後、弘法大師によって建てられた精舎に人々が相集い、篤く不動明王尊を信仰し、この地は不動明王尊を信仰する祈りの霊地となり、やがてこの地を中心に遍法寺へんほうじ村の部落が形成されるようになりました。遍法寺とは「人々に遍あまねく法を伝える寺」の意  時は移り建久年間1190年、勇者、平景清(たいらのかげきよ)がこの地を領せし時、不動明王尊の尊厳に陶酔し霊地の寺門興隆を発心せしめ、堂宇の増築、改修等など七堂伽藍(しちどうがらん)の整備にあたり、中興の業(ちゅうこうのわざ)を成なし遂とげました。また当時、景清が手ずから植樹したと言われる松(呼称:景清松、かげきよまつ)が後世にまで、悠々と樹立していたのですが、昭和51年には二代目となる景清松も遂に松くい虫の虫害により倒れ、約800年に亘る歴史に幕が下ろされました。

やがて江戸時代、徳川の世になり政治も人々の心も次第に平穏が保たれはじめた頃、当時の亀山藩主の甚大な加護を賜り本堂、諸堂の再建、伽藍の整備も着々と成されました。尤も宝暦年間(1751年~1763年)には亀山藩主石川総慶(かめやまはんしゅ いしかわふさのぶ)公の肝きもいりで本堂の再建を十数年の歳月を費やして成し遂げられました。これが星霜を経た現在の本堂です。ゆえに不動院は本多(ほんだ)公、板倉(いたくら)公、石川(いしかわ)公など歴代亀山藩主の不動明王尊に対する信仰に誠に篤かった故、この由緒ある古刹を守るべくお墨付すみつきを多く寄せられ、時に応じて庇護の手を差し伸べられました。

 現在は(へんぼうじの厄除けお不動さん)の愛称で辺法寺町の祈願寺として親しまれ地区全戸の信仰の拠より所となっています。毎月28日は不動明王尊のご縁日となり『不動明王息災護摩祈祷会』厳修し、また2月3日には開運厄除け星祭り護摩祈願会、8月16日の施餓鬼供養会、3月15日の釈迦涅槃会、4月8日の花まつり、3月28日の本尊会式など一年を通じて不動明王に帰依する法会が度々勤められ、町内はもとより日本各地より多勢の篤信者が相集い、心の拠り所として、また祈りの聖地として賑にぎわいを成しております。

 



亀山市指定文化財

◎ご本尊 坐像()不動明王尊(秘仏)

(高さ一〇三㎝)鎌倉時代後期の作

亀山市指定文化財(昭和31年)

◎鐘楼 享保()4年(1719年)

(つじ)但馬(たじま)藤原(ふじわらの)(なお)(たね)の作

亀山市指定文化財(昭和63年)