境内のご案内


本堂(ほんどう)

本尊不動明王をお祀りする本堂。現在の本堂は宝暦年間(1751年~1763年)亀山藩主、板倉公、石川公の肝いりで十数年の歳月を費やして建立されました。創建初は間口奥行き五間四方の檜皮葺屋根の本堂でした。その後、約270年余りの間には幾度かの改修工事が行われ、昭和に入り昭和48年(1973年)に「昭和の大改修」として屋根瓦全面葺き替え工事を執り行い、また近年では平成26年(2014年)に「平成の大改修」として約1年の工期をかけて屋根全面改修並びに耐震補強工事を執り行いました。これにより屋根瓦は耐震を考慮したうえで瓦葺きからカラーステンレス屋根に生まれ変わりました。

そして平成27年(2015年)3月29日には『本堂改修落慶法会』を『本尊不動明王ご開帳法会』(15年に一度)と併せて厳粛に執り行われ各方面より沢山の方々が参拝に訪れました。


庚申堂(こうしんどう)


鐘楼堂(しょうろうどう)

梵鐘は享保4年(1719年)法印、朝雄師の時代に建立され、

津の住人 辻但馬藤原直種(つじたじまふじわらなおたね)の作。

現在の辺法寺町鐘鋳場(かねいば)で鋳造された亀山市内最古の梵鐘と言われています。(亀山市指定文化財)

現在でも毎日、正午と夕刻の日の入りに諸行無常の鐘の音を町内に響かせています。

 

総高 129.2㎝ 身高 107.7㎝ 口径 76.7㎝

撞座径 11.8㎝ 撞座高 21.2㎝ 駒の爪幅8.1㎝

銅・鋳造 重さ160貫(約600㎏)

乳数 五段・五列・帯二

 


千体大日堂(せんたいだいにちどう)

千体とは無量、果てしないことを意味します。

大日とは大日如来尊ことで真言宗の根本たるご本尊です。この世の全て真理のを表し、私たちの命の根源はすべて大日如来そのものです。それは即ち私たちの命には皆、仏の心(仏性)を宿し、それぞれ平等に尊くそれぞれが繋がっていて認め合い相乗しています。

この大日如来尊をお参りすることで自身の仏様に出会い、仏様の心に気づき、そして仏様の心に気付くことで大日如来尊の無量、果てしない如来の加持力を授かり迷いや苦しみから解放され救いの道を示て頂きます。

 

大日如来ご真言 

             (おん あびらうんけん ばざら だとばん)


水手向け不動尊(みずたむけふどうそん)通称:願かけ不動尊

このお不動様はご信者様から奉納して頂きお迎えしたお不動様です。

不動院山林から湧き出る清水を三回たむけることで、自身の想いを伝えると必ず願いが叶うと信じられています。

不動明王ご真言

(のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん)


四国八十八カ所お砂踏み霊場

四国八十八カ所霊場は四国にある弘法大師空海上人(お大師様)ゆかりの八十八か所の寺院の総称で、総行程約千四百Kmから成る四国霊場の最も代表的な札所であります。その昔は山々で修行する山岳修験者の修行道場でしたが、一説によると平安時代後期、お大師様が四十二歳の厄年の時、自らの修行と人々の災難を除く為に四国の各寺社を巡拝されました。その後、高弟真然大徳がその遺跡を遍歴したのが霊場巡礼の始まりと伝えられています。江戸時代初期には「四国遍路」という言葉が定着しはじめ、この頃には僧侶だけでなく一般の民衆も遍歴し始めその八十八ヶ所霊場を巡礼することを「お遍路」と言いました。八十八とは人間の煩悩の数を表し八十八ヶ所を参拝することで煩悩が断ち消え願いが叶うとされています。阿波で脚を固め(発心の道場)土佐で心落ち着け(修行の道場)伊予で信に入って(菩提の道場)讃岐で諸願成就する(涅槃の道場)。そしてお大師様ご入定の聖地、高野山奥の院にお礼参りすることで大願成就すると言われます。

 

 その四国霊場を昭和五十年代前半、當寺の檀家様のあるご夫妻が自らの足でお遍路されました。お二人をお遍路に導いたきっかけは御主人様が第二次世界大戦の最中、戦友達と共に戦地に赴いた際、自ら死を覚悟する程の危険な戦場に幾度も遭遇するも幸運にも九死に一生を得る事が出来ました。しかし不幸にもその場に居合わせた多くの戦友達はそこで命を落とす事となりました。終戦後、御主人様はその悲惨で悔しい出来事を一生忘れることなく亡き戦友達の追善供養を欠かす事はありませんでした。そして遂に古希を迎えた頃、老体を震え立たすが如く戦友達の霊を弔うべく、且つ奥様の大病治癒の願掛けの為にお遍路の難行を決意し約二年の歳月を費やし遂に無魔満願されました。しかし高齢と持病を抱えた体の二人がこの山坂続く険しい道のりを遍路する事はたとえ信仰と雖も苦難であった事は想像がつきます。故にご夫妻はこの難行の満願とお大師様への報恩感謝の気持ちで参拝された八十八カ所各寺院の有り難いお砂を分けて頂き持ち帰られました。そして帰郷後、そのお砂は當山に奉納され昭和五十四年(西暦一九七九年)現在の場所(景清松跡地)にお砂を埋土し砂塚を設け『四国八十八カ所霊場お砂踏み遍路』を開設致しました。

お砂踏みとは四国遍路ができない人でもお砂を踏みながら参拝する事で、お大師様と共に四国遍路したことと同じ功徳を積んで頂けます。そして苦しみ悩む時でも一心にお大師様を想い念ずれば、必ずお大師様が傍に寄り添い私達を幸福へと導いて頂きます。どうぞこの佳きご縁にお砂踏みで諸願成就を祈り無量のご利益をお授かり下さい。

「あなうれし、往くも帰るも留まるも、我は大師と二人づれなり」同行二人

 

◎お砂踏みの作法

両手を合掌しお砂を踏みながら、ご宝号(南無大師遍照金剛)をお唱えし一番札所から順番に心願を祈り時計回りにお参り下さい。


心の池(こころのいけ)

この池は「心」の字を表現しています。その昔、亀山城主が来院のおりこの池を眺めて心を癒し落ち着かせていました。この池は見る人の心の写し鏡の様にそれぞれで見る「心」の姿が違います。さて、あなたはどの様に見えますか?